コラム

第一話 プロローグ【ストーリーで知る動画広告ネット】

文字数
2200文字/4分
難易度
やさしい

 非番の午後に海を望む山道をひとりで歩いていると、立派な角と艶やかな毛並みを持つ綺麗な牡鹿に出会った。わたしは彼を刺激しないよう注意を払いながらビデオカメラを構え、堂々としたその立ち振舞をモニター内に収める。野生動物の撮影は対話によく似ている。言葉は通じないけど、目線とか距離感、息遣いなど、彼らが発する色々なメッセージを汲み取りながら撮影するのでなければ、良い映像にならない。

 わたしの父は曽祖父の代からこの島で続く旅館を経営している。決して大きな旅館ではないけど、近海で捕れる魚を使った料理だとか、水平線に沈む優陽を堪能できる露天風呂だとかに、宿泊客は満足した面持ちで帰っていく。父の仕事ぶりを近くで見ながら育った幼い日のわたしも、いつかは自分がこの旅館を継ぐのだなと、漠然とした未来図を思い描いてきた。

 でも思春期に差し掛かって都会への憧れが募るようになると、わたしは一転して、生まれ育ったこの島や旅館への嫌悪感を覚えるようになった。山の草木も、きらきら光る海も、わたしの人生を選択肢のない世界に縛り付ける檻のように思えた。宿泊客に対してさえ、都会のひとが田舎者を見下して悦に浸っているに違いない、なんて捻くれた考えを抱いていた始末だ。

 そんなわたしが島を出て行きたいと父に伝えたのは十七歳のとき。もちろん反対されることを覚悟していたけど、その予想に反して、父がわたしを引き止めることはなかった。「やりたいことをやりなさい」と父は言うだけだった。

 高校卒業後に島から離れたわたしは、都会の大学に通いながらひとり暮らしを始めた。四年間の大学生活を経て入社したのは名前だけなら誰もが知るような建設業界の大手だ。内定を取った時点では大企業に入れて良かったと無邪気に思ったものだけど入社後の生活は過酷だった。一年目から常に成果を出すことを求められた。出せなければ価値のない人間として扱われた。わたしは存在価値を失うことがただただ恐ろしくて必死で働いた。自分の価値を守るためなら他者を出し抜いたり蹴落としたりすることさえ厭わなくなっていった。そして入社して五年目の夏に突然、ベッドから起き上がることができなくなり鬱だと診断された。

「いつでも戻ってくるといい」という父の言葉にすがり、会社を辞めて島に出戻ったのは秋のことだった。それは、自分が無価値になってしまったという思いからくる半ば自棄的な選択でもあった。冬のあいだは冬眠する熊のように、寝たきりで過ごした。自室からはほとんど出ることがなかった。

 春になり暖かくなると、ようやくひとりで表を歩ける程度の気力が戻ってきた。リハビリがてらに散歩をしながら、島の風景とか動物たちの姿をスマートフォンで撮影しユーチューブに投稿し始めると、思いもよらず好意的な反響が返ってくるようになった。いちどは嫌いになった故郷だけど、ユーチューブを通じて褒められると、まるでわたし自身が肯定されているかのように嬉しかった。また夏がきて鬱を発症してから一年が経つと、わたしはリハビリがてら、父の旅館で従業員として働かせてもらえることになった。最初にもらった給料のうち半分を使い、父に新しい釣り竿を贈った。残りの半分で少し高価なビデオカメラを買った。

 山道で出会った牡鹿を映像に収めてから更に一時間ほど歩くと、山頂にたどり着いた。山頂からは島全体を見渡すことができる。西側に目を遣れば幼い頃から慣れ親しんだ自然豊かな風景が広がる。潮風を受ける初夏の緑は穏やかに揺れその隙間にはつい先程まで歩いてきた山道が覗く。海岸沿いには父が営む旅館の屋根も見える。

 だが島の東側の景色は様子が違っている。何隻ものフェリーや大型の貨物船が停泊する新しい港を中心に立ち並ぶビル群や巨大なショッピングモール。今も稼働している背の高いクレーンの足元では来年春にオープン予定のテーマパークが組み上げられている。

 この島はわたしが帰ってきたのとほぼ同じ時期から観光地として再開発されはじめた。今では開発された東側の「表」と、手つかずの自然を残している西側の「裏」とにすっかり分かれてしまった。そして開発の中心にいるのはわたしがかつて勤めていた会社だ。生まれた島のこの変化をわたしはあまり良く思うことができない。

 山頂から来た道を戻って自宅を兼ねた旅館の傍にたどり着いたときには夜になっていた。頭上では無数の星々が寄せては返す波の音を背景音として静かに瞬いている。波打ち際でひとり煙草を吸う父の姿を見つけたので、今日も旅館に宿泊客は来なかったのだなとわたしは理解した。

「表」に新しいホテルが幾つも建って以降、この旅館の宿泊客は減っていくばかりだ。寡黙な父は弱音を吐かないけど、経営状態の厳しさは随所に伺える。何とかしたいと思ったわたしは父に内緒でかつて、インターネットの検索型広告を試したことがある。しかし、島の名前など主なキーワードで検索しても出てくるのは「表」の情報ばかりだった。比較サイトでは、常に大手のホテルが上位を独占していた。手の打ち用がなかった。

 自室に戻りビデオカメラをパソコンに繋ぐと今日撮影した映像を再生した。昼間に撮った牡鹿の姿は特に美しく思わず頬が緩む。動画の確認を終えるとわたしの脳裏にふと閃きが生まれた。休日のたびに島を歩いて撮り貯めてきた映像。これを使って宿泊客を呼び込めないだろうか?